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原宿表参道シティーキャンパス(東京)
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2023.10.15 進路指導室
「池袋って鹿島学園東京校でしたよね」「え?もう19年前ですか!」サッカー初優勝・通信制課程開校
※写真は鹿島学園の通信制ができる前に配られた今では貴重な鹿島学園テレフォンカード
②10月8日「もうテレビでないんですか?」ブログ
①10月5日「先生、久しぶりです、大丈夫ですか?」ブログ
(①②の電話の続き)
鹿島学園の第1号キャンパスを池袋につくってからもう19年になるよ。
「うわ、やばいですね。高校生だったのが19年前だなんて信じられないです」
ほんとだね。鹿島学園の全日制は1989年創立だけど通信制は2004年に認可がおりた。2004年当時の鹿島学園をきみは知っているんだよね。
「鹿島のサッカースタジアムに行きましたよね」
そうそう、鹿島学園のサッカー部が茨城県大会で初優勝した試合だ。いつ頃だったかな。
「入学してすぐだったような気がします」
じゃあ2004年だ。「鹿島学園東京校」って名前で2004年10月に池袋の予備校の中に開校したんだ。茨城の本校でも寮の中で「本部校」って名前で2校同時開校でね、私が東京校を作った。
「だから最初は予備校の中でやってたんですね」
あの頃は借金だらけの鹿島学園の再建のために私が経営企画部長をしていた予備校が経営支援をすることを決定してね、予備校の仕事と鹿島学園東京校開校の仕事をかけもちしていたんだ。テレビやラジオもやってたから忙しかったけど鹿島学園東京校の開校には一番力を入れたよ。当時の鹿島学園の再建計画は3つ。大学進学実績、部活の全国大会、そして通信制の開設だった。
「あの頃の鹿島学園は無名でしたよね。東京で知ってる人はいなかったと思いますよ」
あの頃はね、勉強もスポーツも実績がなかった。あるのは膨大な借金。再建がうまくいきはじめたのはサッカー部の若き名監督が全国大会出場をやりとげてね、そのあと通信制が全国展開したことだね。学習塾の昼間の空いている空間と時間をつかって通信制サポート校をフランチャイズにして一気に拡大する構想を私がつくってね、今の理事長が人脈の広さをつかって拡大したんだ。仕事ができる理事長でね。
「お会いしましたよ。先生が主催したオーディション会場で審査員やった方ですよね。今はすごい学校経営者じゃないですか。鹿島学園ほんと有名になりましたね。出張とかで地方行くと看板みますよ」
通信制のキャンパスが数百あるし、野球部も甲子園いけたし、全国に名前が知られる高校に成長したし、まだまだ伸びしろがあると思う。
「あ、いま急に思い出しました!」
なに?
「サッカースタジアムで鹿島が優勝したときスタジアムがすごく揺れましたよね」
あ、そうだ。中越地震があった日だ。
「ちょっと調べてみますね。中越地震、2004年10月23日17時56分です」
そうだ。試合が終わった直後だったよね。
「10月23日ってもうすぐですね。ちょうど19年」
16歳から35歳までの19年、人生の激動期だったね。
鹿島学園にとってもあの県大会優勝からの19年間は進化の速度は速かった。
「わたしも、私にしてはがんばってきた気がします」
今もがんばってるじゃん。
「全然がんばれない弱っちい子だったんですよ。でも通信にきて働きながら勉強して、先生の生徒たちってみんなそんな感じでしたよね」
卒業後16年経って、自身の通信制高校時代を振り返って「後悔がない」感じがうれしいよ。みんなそうだといいな。
「絶対そうだと思いますよ。だってあのまま全日の高校にいたら私なんか絶対に流されてましたもん。やってて楽しい仕事に出会えたら絶対に幸せになるって先生よく言ってましたよね。ずっとそう信じてきたんですよ」
そんなこと言ったか?言ったかも。忘れた。けど言いそうではある。言ったと思うぞ。
「子どもができたら子どもにもそう教えます。中学卒業したら鹿島に入れますね」
親子二代はまだ経験がないんだ。よし、それまでがんばるよ。
「絶対ですよ」
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②10月8日「もうテレビでないんですか?」ブログ
①10月5日「先生、久しぶりです、大丈夫ですか?」ブログ
(①②の電話の続き)
鹿島学園の第1号キャンパスを池袋につくってからもう19年になるよ。
「うわ、やばいですね。高校生だったのが19年前だなんて信じられないです」
ほんとだね。鹿島学園の全日制は1989年創立だけど通信制は2004年に認可がおりた。2004年当時の鹿島学園をきみは知っているんだよね。
「鹿島のサッカースタジアムに行きましたよね」
そうそう、鹿島学園のサッカー部が茨城県大会で初優勝した試合だ。いつ頃だったかな。
「入学してすぐだったような気がします」
じゃあ2004年だ。「鹿島学園東京校」って名前で2004年10月に池袋の予備校の中に開校したんだ。茨城の本校でも寮の中で「本部校」って名前で2校同時開校でね、私が東京校を作った。
「だから最初は予備校の中でやってたんですね」
あの頃は借金だらけの鹿島学園の再建のために私が経営企画部長をしていた予備校が経営支援をすることを決定してね、予備校の仕事と鹿島学園東京校開校の仕事をかけもちしていたんだ。テレビやラジオもやってたから忙しかったけど鹿島学園東京校の開校には一番力を入れたよ。当時の鹿島学園の再建計画は3つ。大学進学実績、部活の全国大会、そして通信制の開設だった。
「あの頃の鹿島学園は無名でしたよね。東京で知ってる人はいなかったと思いますよ」
あの頃はね、勉強もスポーツも実績がなかった。あるのは膨大な借金。再建がうまくいきはじめたのはサッカー部の若き名監督が全国大会出場をやりとげてね、そのあと通信制が全国展開したことだね。学習塾の昼間の空いている空間と時間をつかって通信制サポート校をフランチャイズにして一気に拡大する構想を私がつくってね、今の理事長が人脈の広さをつかって拡大したんだ。仕事ができる理事長でね。
「お会いしましたよ。先生が主催したオーディション会場で審査員やった方ですよね。今はすごい学校経営者じゃないですか。鹿島学園ほんと有名になりましたね。出張とかで地方行くと看板みますよ」
通信制のキャンパスが数百あるし、野球部も甲子園いけたし、全国に名前が知られる高校に成長したし、まだまだ伸びしろがあると思う。
「あ、いま急に思い出しました!」
なに?
「サッカースタジアムで鹿島が優勝したときスタジアムがすごく揺れましたよね」
あ、そうだ。中越地震があった日だ。
「ちょっと調べてみますね。中越地震、2004年10月23日17時56分です」
そうだ。試合が終わった直後だったよね。
「10月23日ってもうすぐですね。ちょうど19年」
16歳から35歳までの19年、人生の激動期だったね。
鹿島学園にとってもあの県大会優勝からの19年間は進化の速度は速かった。
「わたしも、私にしてはがんばってきた気がします」
今もがんばってるじゃん。
「全然がんばれない弱っちい子だったんですよ。でも通信にきて働きながら勉強して、先生の生徒たちってみんなそんな感じでしたよね」
卒業後16年経って、自身の通信制高校時代を振り返って「後悔がない」感じがうれしいよ。みんなそうだといいな。
「絶対そうだと思いますよ。だってあのまま全日の高校にいたら私なんか絶対に流されてましたもん。やってて楽しい仕事に出会えたら絶対に幸せになるって先生よく言ってましたよね。ずっとそう信じてきたんですよ」
そんなこと言ったか?言ったかも。忘れた。けど言いそうではある。言ったと思うぞ。
「子どもができたら子どもにもそう教えます。中学卒業したら鹿島に入れますね」
親子二代はまだ経験がないんだ。よし、それまでがんばるよ。
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