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<title>鹿島学園高校通信制ブログ</title>
<link>http://www.kg-schoo.net</link>
<language>ja</language><item><title>イタリアやインドを旅してみたら</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=129</link>
		<description>イタリア紙レプブリカは、フィレンツェの世界遺産登録地区にある大聖堂の壁に落書きした野球部監督が解任された問題について特集を組み、その中で「休みの日でも、地球の反対側にいても、落書きは許されない」と日本の処分の厳しさを指摘している。という。
私は今回の処分は妥当だと思うし、大学生についても謝罪文を書かせるだけでは生ぬるいと思っている。第一学校関係者の発言の中で「軽い気持で」とあるのに驚く。軽い気持でやっていいものではないことは勿論だが、学校関係者の軽い発言からして起こるべくして起きたと考えざるを得ない。
私は２年前、カプリ島とシチリア島を旅行したが、日本との違いに驚かされたものです。
区役所は５時になると全員帰宅してしまい、一人もいなく閑散としていた。月曜日などは、日曜日の休暇をナニ分に楽しんだ結果、お店の開店は午後だという。
日本のように走って暮らす生活はどこにも見あたらなかった。
落書き事件、いあや事件とは見ていないのだが、拒否反応が日本程激しくないのもわかるような気がする。
今君が日本の激しい価値観の中で、悲鳴を挙げているのであれば、イタリアを旅して、日本と異なる価値観に触れてみるのもいいではないか。その結果居心地いい居場所と実感できたら、イタリアで生活してみるのもいいだろう。
私の行った地域でも日本から嫁入りしている人が何人かいた。世界は広い、自分と同じ価値観を持つ処がどこかにある筈だ。

インドもまた不思議な国のような気がする。
東京工業大学准教授で文化人類学者の上田紀行さんは、引きこもっていた頃、インドに行って、イキイキしてきた友人を見て自分もインド放浪旅行に出たそうです。そこで感じたのは、人間は何ができるとかできないとか、お金があるとかないとか、そういう以前に「存在感」という次元があるんだということでした。インドに行って自分はすごく小さな世界にいたんだなと思いました。理路整然と整っている日本だけが世界じゃないんだと。同時に、なぜ日本の人はあれだけ豊かなのにつまらなそうに生きているんだろうということも考えて、どうやったら人間は元気になるかとか、どうやって存在感を獲得していくのか、ということを自分の生涯の研究テーマにしていこうと思ったのです。（ここまで『致地』８月号から）
インドは不思議な国である。私の知る限りでも、インドを旅して人生に開眼した人が何人かいる。
インドは中国と共に世界の次代のリーダーとも目されている。そんなインドの今を知っておくことも、大きな財産になるかもしれない。</description>
		<pubDate>Mon, 14 Jul 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>「頑張れ！」という言葉</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=128</link>
		<description>君たちのように悩み苦しんでいる人へは「頑張れ！」は禁句であるかのようである。
君も又「頑張れ！」と言われると頑張れなくなってしまうのであろうか。
私は現在も尚リハビリ中であり、左手は依然として麻痺したままである。家族や周りの人はいつも「頑張って下さい」という。頑張れムードが充満しているのである。誰からも頑張れと言われるのだから、いささかあきあきもしている。しかし家族の人にしろ、周囲の人にしろ私を励ます言葉は「頑張れ！」しかないのだと思うし、この言葉位適切なアドバイスはないのではないかと思う。
麻痺状態を脱し、左手が使えるようになるには、頑張るしかないのである。ただ「頑張る」という言葉の意味は広く深い。
それをどう受け止め、どう解し、どう実践に結びつけていくかが一人ひとりの課題になるのではないかと思う。
君と私とどちらが先に現状を打破できるか、競争しよう。それが「頑張る」ことである。

宝塚のトップスターだった真矢みきさんは、13歳までに8回転校し、対人恐怖症になったそうです。「みんなと何か作ったり触れ合う場を探してみたらどうでしょう」という先生のアドバイスで、母が探してきてくれたのが宝塚を目指す教室だった。
宝塚には入れたものの39人中37番だったそうです。それでもみんなには「トップになるから」と宣言していたのだと。
言葉には魂があり、ことばに出したことは実現されるのです。
エド･はるみさんも24時間マラソンを走るんだと言い続け、今年それが実現したのです。</description>
		<pubDate>Mon,  7 Jul 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>たかが水されど水なのである</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=127</link>
		<description>私たちにとってはたかが水なのである。いつでも、どこででも飲む事ができる。私の年代では水は買って飲むものではなかった。古代ローマに於いてさえ、今のローマ人の必要とする飲料水は完備されていた。（塩野七生著 ローマ人の物語）
しかし、現代地球上には、きれいな水を手に入れることができない人が11億人もいるのである。日本の人口の10倍もの人が危険な水を飲んでいるのである。更に危険な水は、年間150万人の子どもの命を奪っているのである。9300万人の子どもたちが、水を汲む労働に追われ、初等教育を受けられないでいるのです。
希望が持てない、夢が持てないと日本の社会に絶望している君たち、彼等は「水を手に入れることが、希望を手に入れる」ことなのです。では、君たちは何を手に入れることが、希望を手に入れることになるのか。更に、世界には飢餓に苦しむ人たちが何億といる。そんな中で私たちは飽食の上にあぐらをかいていてもいいものだろうか。家庭の生ごみの約40％が食べ残しで、約6％が手つかずの食品であるという。君たちが冷蔵庫の番人となって、この手つかずの6％が0％になるよう料理し、食べたらどうか。自分で料理できないなら、お母さんに使い切るようアドバイスしたらいい。エコにもつながり、君たちの役割も大きな意味を持つことになる。
学校に行けないこと、外に出れないこと、寝れないこと、今の君の状態を肯定的に受け止めても、夢や希望につながる目標はいくらでも見えてくる。今の自分の状態でできることをやってみよう。先ず行動ありきを忘れずに。できない理由でなく、できる方法を考える思考転換を。</description>
		<pubDate>Mon, 30 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>小中学生の携帯電話は必要か</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=126</link>
		<description>政府の教育再生懇談会は、「小中学生の携帯電話は必要のない限り持たない」との報告を首相に提出した。
調査によれば、すぐにメールを返信しないと友情が壊れるという“30分ルール”なるものがあるそうです。
深夜でもメールのやりとりをする中学生は51％、1日の携帯メール送受信が51通以上は16％、会ったことのないメル友が5人以上いる人が12％もいる。
さて、君たちはどうだろう。持っているのかいないのか。持っているとすれば、どのように使っているのであろうか。そしてその費用はどのくらいかかっているのであろうか。
私は持っていないし、持とうとも思っていない。必要性がないのである。
以前私の主催したセミナーの中で、携帯電話の是非を議論したことがあるが、その時の出席者本学園余湖校長は反対であった。機械という金属でのやりとりからは本当のコミュニケーションは生まれないということであった。昨今のいろいろな事件から見ても、その意見の正しさが伺えると思うのだが。
ここのところ日本の学力の低さが、世界の各種調査から明らかになってきていていささか暗い気分だが、日本が３年連続世界一という調査がある。英BBC放送が行った三十数カ国調査での、「世界に良い環境を与えている国」で日本が一位なのである。
新聞やTVは社会の暗いニュースを大々的に取り上げ報道する。日本が世界のどんな国に、どんな良い影響を与えているのか、私たちが自信を持ち、希望を持てるニュースを伝えて欲しいものである。</description>
		<pubDate>Mon, 23 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>「ローマ人の物語」を2年がかりで</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=125</link>
		<description>イタリアに行ってきたのは2年前の5月だった。古代の遺跡に触れ、古代ローマ人の偉大さに胸打たれた。それが縁で塩野七生さんの「ローマ人の物語」を文庫本で読み始めた。なかなか読み進まなかったが、昨年の入院を機会に読書にスピードを増した。漸く先週31巻を読み終えた。
改めてローマ人に畏敬の念を覚えた。
何の予備知識もなしのカプリやシチリアだったが、「ローマ人の物語」を読んでの旅であったら行く先々の思いも違っていただろうと思う。火山の爆発で埋まったポンペイも昨年の爆発で改めて見直すことが出来た。
前項の数学もそうだが知識が豊かであることは、見るもの聞くものが新鮮に聞こえてくるものだし、楽しいものだ。元気になったらもう一度前回のコースを旅してみたい。</description>
		<pubDate>Mon, 16 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>宝くじ連番かバラか!？</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=124</link>
		<description>6月10日産経新聞「こんなところにも数学が！」秋山仁先生の連載である。こんなところにも数学が使われると知れば、数学が面白くなるのではないかと思う。今回は境内の問いに数学がどう答えるかである。
折しも3億円と100万円の宝くじが発売中である。さて君はどちらの買い方をするのか。結論だけを引用すれば、どちらも全く同じ金額が期待でき、どちらの戦略のほうが得という事はない、のだそうである。
詳しくは、図書館で産経を読んで研究してみてください。数学の楽しさ、面白さに魅かれるのかも知れない。</description>
		<pubDate>Mon, 16 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>100年後はアフリカが世界のリーダー</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=123</link>
		<description>アフリカ会議が先月横浜で開催され、新聞紙上もアフリカの話題で賑わった。
今はまだ貧しい国も多く、飢餓に苦しむ人たちも多いのが実情だが、次の次の世界のリーダーはアフリカだと思わせる兆しがある。アメリカを始めとする先進諸国が現在世界のリーダーだが、次は中国とインドであると言われて久しい。アメリカや日本の衰退は明らかで、中国やインドの比重が高まっているのも又事実なのである。
君たちの生きる時代は間違いなく、中国とインドが世界を支配する時代となる。
その時代に備え、中国やインドを旅し、悠久の歴史に触れることが理解を深めることにつながる。中国やインドの広大な自然や歴史的遺跡に触れる時、不登校や引きこもりといった君たちを閉じこめていた壁は一気に崩壊するであろう。
そしたら次は、中国やインドの言葉や歴史、文学、哲学、宗教、政治といった机上の学問だ。
次の次はアフリカだという兆しをどこに見るのか。科学や医学の進歩は、アフリカをもっと住み易い地域に変えていくだろうという希望的観測によらずとも、現在のアフリカには潜在的力がある。アフリカ米やバラ、コーヒーといった農業の前途は明るく、産油量世界の12％をはじめとして、ダイヤモンド、レアメタルと天然自然にも恵まれている。野生動物の宝庫であることは、生きるものが生き易く、大気が汚染されていないことを意味する。世界遺産が112件もあり、文化の中心となり得ることを示している。現在でも世界のトップレベルにあるのが、政治への女性参加である。国会議員に占める女性の比率は、ルワンダ45％、モザンピーク35％である。日本は11％である。
更に驚くなかれ、リベリアのカーリーフ大統領は女性なのである。平均寿命49.6才、6人に1人は5才前に死亡、4人に1人しか中学校に行っていない等々の条件が先進諸国並みに向上する100年後アフリカの天下となるのである。
その時までに日本沈没が起きないよう君たちに期待すること大なのである。</description>
		<pubDate>Mon,  9 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>機械も心も“遊び”〈jeu（ジュ）〉がなければ</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=122</link>
		<description>産経新聞５月１９日紙面に森元峯夫さんと荻野アンナさんの対談記事が載っている。その中に「ローマの水道橋」という写真が載っている。私がいま読んでいる「ローマ人の物語」（塩野七生著・新潮文庫）２８巻１７２Pに「ニームの水道橋」として紹介されているものだ。読んだばかりだったので嬉しくなって、この対談記事も読んでしまった。どの言葉も示唆に豊むものであり、その中で特に私が強く共感したところを引用しよう。
森元「経済や産業や技術ばかり論じていたのでは、人間、心豊かにはなりません。心豊かに生きようとすると文学や芸術が必要だし」
荻野「フランス語で「遊び」に相当する〈jeu（ジュ）〉という単語は遊戯のこともいいますが、機械における遊びも〈jeu〉です。」
森元「機械に遊びがないと、摩擦が起きすぎて長持ちしません。社会も同じで、工学的な遊びと人間の心の遊びは同じ視点なんです。」
荻野「むしろ国語力が落ちると数学力が落ちると思います。・・・・数学は記号を使いますけれど、言語も記号なわけですから。だから今になって後悔しきりで、方程式が分かる、数式が操れるようになった方が、絶対に世界が美しく見えるだろうなと。」
森元「アメリカ一辺倒で“工場国家”を築き上げてきた日本は、今こそフランス的なものにシフトしていく必要がある。」
荻野「臆面もない経済原則がまかり通るアメリカと、公民感覚が発達したフランスの間で揺れ動いているー今の日本はいうなればそんな感じだ」

君たちはきっと今まで〈jeu〉がなく、摩擦が起きすぎて切れてしまったのかもしれない。このー時が〈jeu〉となるためには、学校の教科書を離れて、数学（算数）や国語に目を向けてみるのも一つの方法かもしれない。産経には秋山仁先生の「こんなところに数学が！」という連載がある。学校だけが勉強する場ではないことを自らやってみせようではありませんか。〈jeu〉を常に意識し、摩擦抵抗を最小にするよう心掛けよう。</description>
		<pubDate>Mon,  2 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>６月・８月に自分の記念祝祭日を</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=121</link>
		<description>１年のうちで、６月と８月だけが祝祭日のない月である。前から提案しているが、６月と８月に自分の祝祭日を設け、秘かに自分の希望が成就することを願い、新たな一歩を踏み出す日としたらどうだろう。記念日の主旨や想いは、その年の状況によって変わっていってもいいと思う。
私は日頃から食の大切さを訴えている。世界には何億と飢餓に苦しむ人がいる。更にミャンマーを襲ったサイクロンや中国での大地震でも食に苦しむ人が何万も出てきている。私たちも戦後の時代は食べ物のない一時期を過ごしている。
８月１５日は終戦記念日である。この日を私の記念日として、一日食を断ち、飢餓に苦しむ人たちに想いを馳せ、自分のおかれた幸を神と先祖に感謝する日としたい。１日の食費分5,000円をユニセフに寄附することにする。
そういえば、6月15日は「文の日」ではなかったか。「母の日はホテルで、食事文の日はファミレスで」こんな淋しい川柳があったように思う。確かに君たちにとって「文」の存在は母の陰に隠れてしまっているのかも知れない。本当にそうなのかどうか、自分の目で確かめてほしいのだ。食事なんかホテルでもファミレスでもいい、ネクタイの贈り物よりも文子が正面向き合って真剣な議論が出来ることのほうがずっと嬉しいのだ。君たちはどうせ話したってわかりっこないと投げ出さず、お父さんも背広を脱いだ裸の親父として子どもの意見に耳を傾けて下さい。小学生は小学生なりに中高生は中高生なりに人生をまじめに生きていることを知ったとき「文」としての喜びを味わうことが出来るでしょう。</description>
		<pubDate>Mon, 26 May 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>非社会制</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=120</link>
		<description>先週は、「食事中のＴＶは行儀が悪い」という認識が薄れている。
と書いた。

 3月29日読売「気流」欄が「携帯メールでのお礼」を採り上げている。
 同日夕刊青春リサーチで「敬語」を採り上げている。その中で東海大の小林千草教授は、「人を敬う気持から発する敬語は潤いのある人間関係を作るのに大切。」といっている。ここでのアンケートでは、8割の若者が、正しく使っていると答えている。だがこれには小林教授は「高い数字になったのは、「正しい敬語を分かっていないからだ」と推察する。

 私の常識や行儀・マナーが変わってきてとまどう事が多い。
3月29日読売「時の余白に」で芥川喜好が、早稲田大学の加藤締三氏の「現代日本社会の日社会性」とういう講演の内容を紹介している。

更に私もここで引用されてもらおうと思う。
「この社会はひとつの大きな共同体です。共同体を共同体たらしめているものは何か。それは人間の長い営みの積み重ねとしての「経験上の合理性」だと。人間だったらこうだろう、という当たり前のこと、暗黙の了解事項です。
日常に目をやれば、説明するまでもない無数の約束事で日々が回っていることが分かります。あいさつも、他人への気遣いも、共同体を成り立たせる「説明不要の当たり前」にすぎません。

そこが崩れてきた。共通感覚が、当り前のことが、理解されなくなった。その状態を「非社会制」と名づけたのです。
世の注目は「反社会制」に集まります。違法行為、社会への敵対です。
 しかし、これに抑えるシステムがある。社会は壊れない。
対して「非社会制」には抑えるシステムがない。いくらでも正当化できる。気づかぬうちに社会は壊れているわけです。

なぜ共通感覚は失われたか。ものごとの加減も、人との距離感も、人間同士のやりとりを通して養われることは、少し考えてみれば分かります。
「共通感覚は人間のコミュニケーションから出てくる。人間関係の希薄化が自明性の喪失につながるのです。」
「たとえば親らしき、子らしさといった〈らしさ〉の自明性も壊れてしまった。誤った平等です。親子は友達でない。上下の関係です。
上下の親しさなのです。その中で人は自分の位置を知る。
家族が本来の機能を果していないから、人間関係で自分の位置の分からない人が増えてきた。責任感も育ちません。」</description>
		<pubDate>Mon,  7 Apr 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>食事の時はTVを消していますか</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=119</link>
		<description>3月28日読売新聞の「人生案内」である。

「テレビを見ながら食事をするなど行儀が悪かったので軽く注意しました。」との文章があります。30歳代の若い女性の発言でした。「テレビを見ながらの食事」が行儀が悪いという認識は、今薄れてしまっているのではないでしょうか。

私の入院中、食堂での朝・昼・夕食時間中、TVは消されていました。TVを見ながらの食事は健康の面から良くないとのことでしょうか。

病院でさえ、食事時間は一つのテーブルを囲んで、患者同士の団欒の場だったのです。最初は知らぬもの同士もいつか打ち解け談笑するようになるのです。そして、互いを励まし合いリハビリのエネルギーをもらう場となっていたのです。もしTVがつけ放しであったら、多くの人の目はTVに向いてしまい、一つのてテーブル囲んでいても会話はまずなかったでしょう。

食事は家族の団欒の場であり、お互いを理解する場でもあると思います。TVと顔を合わせるのではなく、家族の一人一人としっかり顔と目を合わせる時間、場としたいものです。私が今読んでいる「ローマ人の物語」の中に「食事は教育の場でもある」とも書いてあったように思います。

家庭の教育力が低下したと言われて久しい。こんなところから復活を目指していきましょう。更に進んで、「ノーテレビディ」の設定にまで発展していってもらうとよいのですが。</description>
		<pubDate>Mon, 31 Mar 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>地域で「テレビ控える日」</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=118</link>
		<description>3月22日読売新聞教育ルネサンス「PTA再考」という記事の見出しである。

私はかねてより24時間テレビはワースト番組だと批判し、「ノーテレビデイ」を提案している。新聞にも休刊があり、テレビにも休日放送があってもいいと思っている。自衛的手段として視聴者が「ノーテレビデイ」を自ら設定することを言い続けている。ブログを通じても何回か訴え続けている。

私の先週までの入院生活からも「ノーテレビデイ」がいかに有効かを体験してきたところである。読み・書き・話し・考える時間が格段に増えたのである。お陰で入院中に「脳梗塞体験記」や「短歌で綴る闘病記」を書けたのである。

記事は熊本県の網田小・中が「毎月20日はノーメディア（テレビ）デー」にしていることを伝えている。これは「ノーメディアチャレンジ」と呼ぶ小中両校のPTAの取り組みなのだそうである。「テレビを見るな、ゲームをするなと言っているわけではなく、親子のコミュニケーションの時間に充ててみようと呼びかけている」という。

折しも朝日の政治・社会意識基本調（H20.3.21付朝刊）によれば、普段の家庭生活に思いやりや会話、くつろぎを求めているのである。そして、家族への結びつきを精神的なものに求めているのである。そして更に家族への信用度は97％、ほぼ全員が家族をよりどころにしているのである。

テレビから少し目を離し、家族がお互いを見つめ合う時間に充てて、お互いを思いやり、会話があり、くつろげる居場所にして欲しいものです。</description>
		<pubDate>Mon, 24 Mar 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>期間満了退院</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=117</link>
		<description>3月17日、今日は入院期間満了による退院である。依然として左手は麻痺状態であり、完治退院ではない。最近の医療では入院期間3ヶ月が限度なのだそうである。いろいろ議論はあるようだが、一つの区切りとしていいのではないかと私は考える。一つの区切り、一つのけじめとして私は処したいと思っている。完全な形でなくてもこれを機会に社会復帰を試みる。

何回目かの自宅外泊による訓練により、病院内での移動と実社会での移動には大きな差異があることが分かっている。それらの克服もこの試み以外に方法はないのではないかと思う。再入院やリハビリも視野に入れて、試行錯誤しながら社会復帰を目指す。

君たちも相談しているカウンセラーや診てもらっている医者に期限を定めず通うのではなく、3ヶ月、6ヶ月と期間を定め、それを区切りとして社会復帰を試みたらいいと思う。相手が変わると見立ても変わるし、自分の気持ちも変わるのである。新しい刺激にもなり、ワンステップ上がった状態で次へ踏み出していけるのではないかと思う。

私が経験した医療機関の3ヶ月限度入院制度は、私にとっても君たちにとっても学ぶところ大なのではあるまいか。時は金なり。光陰矢のごとしである。いたずらに時を浪費すべきではないと思う。</description>
		<pubDate>Mon, 17 Mar 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>2月29日の花は？</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=116</link>
		<description>4年に1回の2月29日も今日の花があるのです。「杉」、花ことばは「雄大」です。杉を見上げていくと、その先には大きく広がる青空が見えます。全くぴったりの花ことばであると思います。また、真直ぐ伸びていくことから「直」を「すぎ」と読ませることもあるそうです。

4年に1回しか祝ってもらえない想い出してもらえない花でも真直ぐ伸び、雄大な姿を私たちに見せてくれるのです。私たちはいつも誰かに関心を持ってもらいたいと思うし、話題の中心にいたい思う。みんなの輪の中に入ってワイワイガヤガヤ楽しくおしゃべりしたいと思っている。だが、そうしたくてもできない。そんなことを悩んでいる人が大勢いる。4年に1度しか関心を持ってもらえない2月29日の今日の花「杉」は、それでも「雄大」に青空目指しているのである。しかも真直ぐにである。

そんな「杉」の生き方に学ぶことはないであろうか。「今日の花」はNHK第一早朝5時ちょっと前の時間のコーナーである。4時からは「心の時代」で人生を学ぶ時間になっている。</description>
		<pubDate>Mon, 10 Mar 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
		</item><item><title>卒業と入学</title>
		<link>http://www.kg-schoo.net/blog_detail.php?id=115</link>
		<description>元旦は万人の節目だが、君たちには3月と4月にも節目がある。卒業と入学（進級）である。君たちは児童、生徒、学生だから本当の卒業や入学・進学を実現することがベストである。

小学校や中学校の卒業は誰でもできる。幸いにも一日も学校に行っていなくても卒業させてくれるらしい。さらにそのような卒業でも受け入れてくれる高校もあるから有難い。本鹿島学園高等学校通信制もこの一つである。もちろん、高校入学を転機としてやり直すぞとの意欲が条件ではあるが、それなら自分もやり直してみたいと思う人は私が相談に乗ろう。

また、学校との直接関係を考えずともこの1年を3月で卒業という整理をつけ、4月からまた新しい1年をスタートさせるという節目にして欲しいのだ。私も3月で今の病院に3ヶ月いることになり、満期退院が迫っている。4月以降の自立に向けて、新しいスタートを切るのは君たちと同じなのだ。

私もそうだが節目が来るとなんとなく「やらなければ」と思えるものなのである。そんな心理に乗ってみようではないか。みんなで「サクラサク」の朗報を待とうではないか。</description>
		<pubDate>Mon,  3 Mar 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
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