鹿島学園高校通信制ブログ


[ 204件 ]

2009年07月02日

「ネトゲ廃人」予備軍になっていないか

恐ろしいことばが生まれたものだ。ゲームにのめりこんでいった結果、現実の世界から目をそむけ、バーチャルの世界でしか生きられなくなる。こんなネトゲ廃人が増えているのだそうである。
君たちはどうであろうか。
オンラインゲームフォーラムのガイドラインでチェックしてみよう。

1.プレイする際は、時間を決めて時々休憩を取る。
2.普段の生活に影響を及ぼさないように自己管理をして、適当に楽しむ。
3.プレイする際は、体調に異変をきたさないように気をつける。もし具合が悪くなったらすぐ医者の診察を受ける。
・・・とある。

このガイドラインはゲームに限ったことではない。勉強にだって遊びにだって、スポーツや趣味の世界にだってあてはまるのである。そして、このガイドライン通りにいかないのが私たちなのである。やはり誰かにブレーキをかけてもらわないと、私たちはのめりこんでいってしまうのである。親や先生や友だちがブレーキ役だ。忠告には聞く耳を持つ素直さだけは意識して持っていよう。
薬物依存による廃人の怖さは、君たちも知っているであろう。薬物に依らずとも、ゲーム依存による廃人になってしまう危険性を学んでいるのである。薬物中毒では、止めようとする時は禁断症状がでる。本人も親も心を鬼にしてこの難局を乗り切る。ゲーム依存症も全く同じ、止めさせようとすると、禁断症状が出る。ここで鬼になれるかどうかが克服できるかどうかの鍵を握る。
TVゲームが昼夜逆転の原因になってしまうとか、不登校の原因になっているとか、勉強をしない原因になってしまうとか議論されてきた。しかしTVゲームの問題は、このレベルに止まらず、もっと深刻な先行きを内含しているのである。傷は浅いうちに手当するにこしたことはない。
「ネトゲ廃人」の恐ろしさは6月24日毎日夕刊山本紀子記者の「特集ワイド」に詳しい。図書館に行けばいつでも見られるので是非読んで欲しい。

そんなこと「とぽす」で話し合ってみよう

「とぽす」とはギリシャ語で「場所」の意味なのだそうである。
まだ子供が喫茶店に入れなかった時代、子ども同志や親子が気軽に入れる場所として創ったのだそうである。
「ネトゲ廃人」について語り合う友だち同志の場所として、親子で話し合う場所として一度行ってみたらどうだろうか。

東京都江戸川区西一之江4−15−7(TEL03−3656−9224)

「とぽす」ではこんなこともやっています。

・聖書を読む======<第1土>14:00〜
・生と死を考える会===<第4月>19:00〜
・とぽす響きの会====<第3木>19:00〜
・絵手紙教室======<毎週水・木>14:00〜
・ヤングタイムサービス=<毎週水・土>14:00〜
・教育/子育て/思春期/こころの病の相談==<随時>(予約制)

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 210

2009年06月29日

二つのコンサート

6月19日、友人の二期会オペラ歌手・バリトンの松尾健市も出演しているオペラ・ガラ・コンサートを聴いた。
3月22日のオペラ「アドレアーナ・ルクヴルール」の出演者が多かったし、クラシック音痴の私でも楽しかった。
出演者の熱唱が伝わり、下手なオペラを聴くよりも、聴きごたえがあった。圧巻は男声陣5人によるイタリア・カンツォーネであった。
観客も歌い出す程の盛り上りだった。
医者付きで出演していた人もいたようだが、舞台上ではそんな様子は微塵も見せず、誰よりも声が出ていた位だ。舞台から降りると医者の診察を受け、ファンとの面会もさせなかったようだ。
風邪をひいていても、舞台にでると声が出るという話も聞いたことがあり、プロの精神力はすごいと感じた。
こんな感激も家の中にとじこもっていたのでは巡り会えない。野球やサッカーでもTVで観戦するのと、その場に行って、観客の熱気や実物の迫力から得られる感激はやはり違うのである。
夏は暑くて当り前、暑くなければ、秋の収穫にも影響があるのである。
君たちもクーラーのきいた部屋にいないで、夏の暑さの洗礼を受けに外に出よう。秋には大きな実りがあることを期待して。

6月23日は、いだきしんコンサートである。24時間TVで31時間即興演奏したこともある人だ。ピアノとシンセサイザーの即興演奏家である。
地球に平和をと世界各地を演奏旅行しており、その数597回に及ぶ。イランやレバノン、シリアやブルガリア等最も危険だが、最も平和を望む国々も含まれている。
今回のコンサートは、「Divine Ages−神性の顕れる時代」と題し、東京オペラシティ・コンサートホール・タケミツメモリアルで行なわれた。
いのちは人類共通の生命エネルギーであり、音楽を通して、国や人種を超えて、いのちをつなぎ合う。いだきの即興演奏が聴く者の心にいのちを吹きこむ。聴衆は誰もが共鳴し、人類の平和に祈りを捧げる。会場はこんな熱気に包まれていた。
楽譜のない即興演奏だから、その時の聴衆により異なる。今日この時にしか聴けない音楽と、それを通じて命のつながりを知った聴衆、一体となって世界の平和を願った場面に出会えたことを幸せと感じた。

私の闘病体験報告会のお知らせです。

<脳梗塞・糖尿病・高血圧、克服体験報告会>
1.テーマ:医者の第一声は「これはダメだ」だった
2.内容
(1)4ヶ月入院がもたらした劇的改善
(2)劇的改善を短期でなし得た理由とは
3.日時:7月12日(日)13:30〜16:30
4.場所:千代田線綾瀬駅西口徒歩3分、足立区勤労福祉会館
5.参加費:無料
6.問い合わせ・申込:03−3859−3272・中島

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 209

2009年06月25日

映画「劔岳・点の記」を見よう

立山連峰にそびえる劔岳、その険しさと、土地に伝わる信仰ゆえ、登ってはいけないと恐れられていた山に、命がけで挑んだ男の物語。
日露戦争後、国防のための日本地図の完成が急がれる中、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎は、前人未踏の劔岳登頂と測量を命じられる。それは地図の空白地点を埋めるためであり、軍の威信のため。創設間もない日本山岳会も登頂を計画しており、先んじられることは許されない。
原作は、実話を基にした新田二郎の同名の小説である。監督は「八甲田山」「駅STATION」「鉄道員(ぽっぽや)」などの撮影を手がけたキャメラマン・木村大作。50年の映画人生をかけての第1回監督作品だ。
撮影は、劔岳と立山連峰に延べ200日こもり、CGや空撮は使っていない。だから圧巻の映像なのである。点を突く山に圧倒され、壮大な自然と格闘する男たちの姿に心うたれる。しかもそれがすべて本物の光景なのだ。(6月19日読売から)。

この映画を鑑賞した、ヨミウリ・ジュニア・プレス記者の感想である。

・地図を作る大変さがよくわかった。冬山の厳しさの一方、雄大で美しい風景を見て、心が晴れ晴れとした。(小5・小宮貫太郎)
・自然の壮大さが「生」でわかる映画。全員で協力して頂上へ向う測量隊の姿に感動した。(中2・石井さくら)
・雪崩の場面など自然との闘いが必見で、最後まで目が離せなかった。(高1・石村純基)
・柴崎らの仕事への誇りと勇気、信念をもってひたむきに努力する姿に心打たれた。(高1・井野口碧依)

もう一本「幼獣マメシバ」である。6月19日読売夕刊を引用しながら紹介しよう。引きこもりの中年男性が、シバ犬とともに母親探しの旅に出る映画である。中年になっても母親の存在は大きいのです。お母さん、自信を持って子供を受け止めて下さい。
この映画に安達祐実さんが出ているのですが、彼女もまた引きこもりの体験者だったとは知らなかった。中学時代、仕事以外では自分の部屋にこもりきりだったという。人を信じられなくて、家族にも誰にも会いたくなかった。21歳の時、一人暮らしを始めてやっと吹っ切れた。自分の意見が事務所や親を通さず、相手にそのまま伝わるんだって、その時はじめてわかった、と振り返る。

芸能界には、不登校や引きこもりを経験した人が何人もいるようだ。感性が豊かでデリケートなるが故に、深く傷つく君たちなのだから、芸能界や芸術の世界では能力的には向いているのだろう。しかしこの世界は生き抜く厳しさは並ではない。芽が出るまでの下積の苦しさも覚悟する必要がある。柴田理恵さんや久本雅美さんの入門エピソードや売れない時代の苦しさは今でこそ笑って話しているが。
二人を真似て思い切って劇団の門を叩いてみるか。この世界は学歴不用、自分の実力だけなのだから、直ぐにでも飛び込めますよ。
映画評論家と云われる人たちは、毎日映画館をはしごしてきたし、ファーブルは一日中昆虫とにらめっこしていた。牧野富太郎は、毎日野山を歩き、植物と会話してきた。
君たちも好きなこと、やりたい事に夢中になれ。あきたら次に好きなこと、やりたい事をすればいい。

「初心忘るべからず」という教訓は、今は忘れよう。今は真にやりたいことを探す時期だから、何度も初心に戻っていいと思う。

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 208

2009年06月22日

夏休みの自由研究課題

夏休みまで1ヶ月。そろそろ夏休みの自由研究課題を考えてみよう。
今年はガリレオが1609年に望遠鏡で夜空を観測してから400年を記念した「世界天文年」である。そんな記念の年に皆既日食が見られるのである。1963年7月21日北海道東部で観測されて以来46年振りになる。今回見逃すと、次は2035年9月2日までお預けになってしまう。是非今回見ておきたいものです。皆既日食を見ると人生が変わるという人もいる位である。
皆既日食が見られるのは、トカラ列島、屋久島、奄美大島の北部、種子島南部、硫黄島などに限られるが、部分日食は全国で楽しめます。
観測には注意が必要で、ろうそくでススをつけて黒くしたガラス板や、黒い下敷を太陽にかざすのは、赤外線を防ぐことができず危険です。最悪の場合は失明の恐れもありますので、太陽観測専用のサングラスなどを使用して下さい。
各地のプラネタリウムで特別企画をしていると思いますので、予習しておくといいと思います。
2012年には、金環日食が見られます。皆既日食の観測体験を金環日食への関心につなげるよう、天体への興味を喚起していきましょう。日頃から夜空の星に関心を持つには、「星座早目盤」が手許にあるといいと思います。日付と時間を合わせれば、その時夜空で見られる星の位置がわかるそうである。

次は文学である。6月19日は「桜桃忌」、太宰治の誕生日と入水自殺した太宰の遺体が発見された日である。今年は生誕100年に当り、新潮文庫、文春、岩波、角川等各文庫が特集を出している。
自殺未遂や心中未遂と死に取り付かれたような人生を送りながら、私たちの心に訴える作品を残した太宰という作家に興味が湧いてきませんか。
一人の作家をじっくり読むのは、夏休みが一番です。太宰に触れたいということであれば、「富士には月見草」(長部日出雄著・新潮文庫)がある。
太宰作品の名言・名場面を集めている。

もう一人、没後200年という上田秋成である。今注目の作家村上春樹さんと「「雨月物語」と春樹文学共振・執筆と分身・不条理の物語」と6月19日読売「歴史」コーナーが伝えている。
ちょっと読みごたえがあるが、この際ノーベル賞もささやかれる村上さんの作品を読み、雨月物語も読んで比較してみよう。
手取り早くとお望みの方には、1953年溝口健二監督の映画「雨月物語」がある。

最後の提案は、修養体験の薦めである。
高尾山薬王院で座禅などを体験する「高尾山峰中(ぶっちゅう)修業体験合宿である。今年で37回目というから歴史がある。小学3〜6年が対象で、7月30、31日と8月4、5日の2回行なわれる。座禅、法話、写経などを体験し、薬王院に1泊する。ハイキングコースで自然観察教室などのレクリエーションも楽しめる。
<TEL>042−357−6161

日本アウトワードバウンド協会では、冒険体験プログラムが用意されている。
私が評議員をしているところであり、安心して薦められる。
<TEL>03−3235−5757

もう一つは断食道場である。本学園の理事長・校長である余湖三千雄先生は、年に何回か断食をし、心身のリフレッシュに努めている。
学園事務局に問い合わしてもらえばいいと思う。

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 207

2009年06月18日

「なにしに=ここへ」

今君たちが置かれている苦境にどう向き合い、どう戦って克服するか、を一緒に考えてきた。
先日私の許に贈られてきた、詩人でエッセイスト浜文子さんの掲題の詩集には、その答えがいくつも載っている。
全編どの詩も、人生の示唆に富んでいる。私が苦労して書き上げたブログよりも、この詩は簡潔に人生の要諦を突いている。
最近の私のブログで触れた「感謝」については、こんな詩がある。

===謝る

=喜びのとき======どこかで悲しむ人を=====思い
=笑っているとき====どこかで泣いている人を===忘れない
=誰かがきっと=====誰かの分を泣き=======誰かがきっと
=誰かに幸せを=====差し出して
=ああ=だからこそ
=感謝の文字には====詫びる心が=========添えられているのだ
=ありがとうと共にある=ごめんなさい
=幸せを抱く日の====美しい文字=========感謝

君たちの中には、死にたいと思った人もいるだろう。こんな詩もある。

===願う

=死にたくて======死ねないのです=======だから祈るのです
=生きたくて======生きられないのです=====だから祈るのです
=生きたくて死んだ===たくさんのいのちのため
=死にたくて生きている=多くのいのちのために
=死んだつもりで生きた日々の==私が祈るのです
=ほとけさま======母たちをよろしく======子らをよろしく
=私たちをよろしく
=すべての人を=====どうか===========よろしく

そして「あとがき」に止めを刺される。引用させてもらおう。

「「艱難、汝を玉にす」という言葉を捨て去り「艱難、汝にトラウマやPTSDを与う」」となってしまったことを歎く。
「苦しみを忌避せず、泣くべき時に、きちんと泣けば、涙の底から湧き出る力や気迫が人を支えるという真実もあるのだが、そんな人間の持つ心の不思議も、ついぞ世の中から忘れ去られている。
人は、本当に悲しむ力や、悩む力を持たねば到底人にはなれない。他と共感する能力も育たない。人の心の奥深くには、苦しみ、悲しみを受け止めきって生きたとき、そこから大きく他者へと開かれる感性の扉が用意されているのだが。
人間の心は、薬よりも、カルテよりも、自分を案じる他者の差し出す掌の温かさこそ、力を得るものだという当り前は、どこへ行ったのだろう。」

ということで是非一度読んでみて下さい。
私は座右の銘の書として、新しく加えていきます。
書名「なにしにここへ」浜文子著、佼成出版社、¥1100円+税

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 206



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