鹿島学園高校通信制ブログ


[ 117件 ]

2008年04月07日

非社会制

先週は、「食事中のTVは行儀が悪い」という認識が薄れている。
と書いた。

3月29日読売「気流」欄が「携帯メールでのお礼」を採り上げている。
同日夕刊青春リサーチで「敬語」を採り上げている。その中で東海大の小林千草教授は、「人を敬う気持から発する敬語は潤いのある人間関係を作るのに大切。」といっている。ここでのアンケートでは、8割の若者が、正しく使っていると答えている。だがこれには小林教授は「高い数字になったのは、「正しい敬語を分かっていないからだ」と推察する。

私の常識や行儀・マナーが変わってきてとまどう事が多い。
3月29日読売「時の余白に」で芥川喜好が、早稲田大学の加藤締三氏の「現代日本社会の日社会性」とういう講演の内容を紹介している。

更に私もここで引用されてもらおうと思う。
「この社会はひとつの大きな共同体です。共同体を共同体たらしめているものは何か。それは人間の長い営みの積み重ねとしての「経験上の合理性」だと。人間だったらこうだろう、という当たり前のこと、暗黙の了解事項です。
日常に目をやれば、説明するまでもない無数の約束事で日々が回っていることが分かります。あいさつも、他人への気遣いも、共同体を成り立たせる「説明不要の当たり前」にすぎません。

そこが崩れてきた。共通感覚が、当り前のことが、理解されなくなった。その状態を「非社会制」と名づけたのです。
世の注目は「反社会制」に集まります。違法行為、社会への敵対です。
しかし、これに抑えるシステムがある。社会は壊れない。
対して「非社会制」には抑えるシステムがない。いくらでも正当化できる。気づかぬうちに社会は壊れているわけです。

なぜ共通感覚は失われたか。ものごとの加減も、人との距離感も、人間同士のやりとりを通して養われることは、少し考えてみれば分かります。
「共通感覚は人間のコミュニケーションから出てくる。人間関係の希薄化が自明性の喪失につながるのです。」
「たとえば親らしき、子らしさといった〈らしさ〉の自明性も壊れてしまった。誤った平等です。親子は友達でない。上下の関係です。
上下の親しさなのです。その中で人は自分の位置を知る。
家族が本来の機能を果していないから、人間関係で自分の位置の分からない人が増えてきた。責任感も育ちません。」

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 120

2008年03月31日

食事の時はTVを消していますか

3月28日読売新聞の「人生案内」である。

「テレビを見ながら食事をするなど行儀が悪かったので軽く注意しました。」との文章があります。30歳代の若い女性の発言でした。「テレビを見ながらの食事」が行儀が悪いという認識は、今薄れてしまっているのではないでしょうか。

私の入院中、食堂での朝・昼・夕食時間中、TVは消されていました。TVを見ながらの食事は健康の面から良くないとのことでしょうか。

病院でさえ、食事時間は一つのテーブルを囲んで、患者同士の団欒の場だったのです。最初は知らぬもの同士もいつか打ち解け談笑するようになるのです。そして、互いを励まし合いリハビリのエネルギーをもらう場となっていたのです。もしTVがつけ放しであったら、多くの人の目はTVに向いてしまい、一つのてテーブル囲んでいても会話はまずなかったでしょう。

食事は家族の団欒の場であり、お互いを理解する場でもあると思います。TVと顔を合わせるのではなく、家族の一人一人としっかり顔と目を合わせる時間、場としたいものです。私が今読んでいる「ローマ人の物語」の中に「食事は教育の場でもある」とも書いてあったように思います。

家庭の教育力が低下したと言われて久しい。こんなところから復活を目指していきましょう。更に進んで、「ノーテレビディ」の設定にまで発展していってもらうとよいのですが。

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 119

2008年03月24日

地域で「テレビ控える日」

3月22日読売新聞教育ルネサンス「PTA再考」という記事の見出しである。

私はかねてより24時間テレビはワースト番組だと批判し、「ノーテレビデイ」を提案している。新聞にも休刊があり、テレビにも休日放送があってもいいと思っている。自衛的手段として視聴者が「ノーテレビデイ」を自ら設定することを言い続けている。ブログを通じても何回か訴え続けている。

私の先週までの入院生活からも「ノーテレビデイ」がいかに有効かを体験してきたところである。読み・書き・話し・考える時間が格段に増えたのである。お陰で入院中に「脳梗塞体験記」や「短歌で綴る闘病記」を書けたのである。

記事は熊本県の網田小・中が「毎月20日はノーメディア(テレビ)デー」にしていることを伝えている。これは「ノーメディアチャレンジ」と呼ぶ小中両校のPTAの取り組みなのだそうである。「テレビを見るな、ゲームをするなと言っているわけではなく、親子のコミュニケーションの時間に充ててみようと呼びかけている」という。

折しも朝日の政治・社会意識基本調(H20.3.21付朝刊)によれば、普段の家庭生活に思いやりや会話、くつろぎを求めているのである。そして、家族への結びつきを精神的なものに求めているのである。そして更に家族への信用度は97%、ほぼ全員が家族をよりどころにしているのである。

テレビから少し目を離し、家族がお互いを見つめ合う時間に充てて、お互いを思いやり、会話があり、くつろげる居場所にして欲しいものです。

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 118

2008年03月17日

期間満了退院

3月17日、今日は入院期間満了による退院である。依然として左手は麻痺状態であり、完治退院ではない。最近の医療では入院期間3ヶ月が限度なのだそうである。いろいろ議論はあるようだが、一つの区切りとしていいのではないかと私は考える。一つの区切り、一つのけじめとして私は処したいと思っている。完全な形でなくてもこれを機会に社会復帰を試みる。

何回目かの自宅外泊による訓練により、病院内での移動と実社会での移動には大きな差異があることが分かっている。それらの克服もこの試み以外に方法はないのではないかと思う。再入院やリハビリも視野に入れて、試行錯誤しながら社会復帰を目指す。

君たちも相談しているカウンセラーや診てもらっている医者に期限を定めず通うのではなく、3ヶ月、6ヶ月と期間を定め、それを区切りとして社会復帰を試みたらいいと思う。相手が変わると見立ても変わるし、自分の気持ちも変わるのである。新しい刺激にもなり、ワンステップ上がった状態で次へ踏み出していけるのではないかと思う。

私が経験した医療機関の3ヶ月限度入院制度は、私にとっても君たちにとっても学ぶところ大なのではあるまいか。時は金なり。光陰矢のごとしである。いたずらに時を浪費すべきではないと思う。

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 117

2008年03月10日

2月29日の花は?

4年に1回の2月29日も今日の花があるのです。「杉」、花ことばは「雄大」です。杉を見上げていくと、その先には大きく広がる青空が見えます。全くぴったりの花ことばであると思います。また、真直ぐ伸びていくことから「直」を「すぎ」と読ませることもあるそうです。

4年に1回しか祝ってもらえない想い出してもらえない花でも真直ぐ伸び、雄大な姿を私たちに見せてくれるのです。私たちはいつも誰かに関心を持ってもらいたいと思うし、話題の中心にいたい思う。みんなの輪の中に入ってワイワイガヤガヤ楽しくおしゃべりしたいと思っている。だが、そうしたくてもできない。そんなことを悩んでいる人が大勢いる。4年に1度しか関心を持ってもらえない2月29日の今日の花「杉」は、それでも「雄大」に青空目指しているのである。しかも真直ぐにである。

そんな「杉」の生き方に学ぶことはないであろうか。「今日の花」はNHK第一早朝5時ちょっと前の時間のコーナーである。4時からは「心の時代」で人生を学ぶ時間になっている。

Posted by Kashima Gakuen |エントリーNo 116



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【作者プロフィール】 中島 清(なかじま・きよし)
日本フリースクール協会 副理事 不登校・引きこもり支援センターほっと倶楽部 副理事



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